森重文-フィールズ賞受賞者-
日本の著名な数学者
日本の数学のレベルは相当高いものがあります。以前書きましたが、ノーベル賞には数学賞がありません。そのかわりに4年に1回、40歳以下という極めて厳しい条件でフィールズ賞があります。数学にノーベル賞がないので、カナダの数学者のフィールズが提唱し創設されたものです。今では、賞金額もノーベル賞級のアーベル賞があります。これは毎年発表されます。現在までフィールズ賞を受賞した日本の研究者は3名です。東京大学の小平邦彦、京都大学の広中平祐、森重文の3名です。3名ともプリンストンやハーバードなどの海外の大学で研究をおくっており、日本に帰ってきた数学者といえます。最後の受賞者が森重文で1990年ですから、もう30年近く受賞者がでていません。若手数学者の活躍を願いたいものです。
森重文
森重文は、愛知県出身の数学者です。愛知の有名な進学校である東海中学・高校の出身です。高校生の頃から数学の天才的な才能が広く知られていました。現在でも気鋭な高校生の数学の月刊誌として有名な東京出版の「大学への数学」で大活躍され伝説になっていました。この中に「学力コンテスト」やさらに難しい問題が出題される「宿題」で満点をとり続けた高校生として名前が残っています。かつての大学への数学は、現在の内容より相当レベルが高く、大学教養の数学の講義もあったようです。1975年ごろから今のような内容になったようです。
昭和44年(1969年)が森重文の大学入試のときでしたが、当時の東大紛争や大学紛争の影響で、東大入試が中止になりました。安田講堂事件のあった頃です。森重文は東大から京大に変更し、京都大学に入学しています。京都大学の指導教官は、永田雅宣です。京大出身のもう一人のフィールズ賞受賞者に広中平祐がいますが、京大ではカミソリの永田、ナタの広中と言われたそうです。その後森はハーバード大に移り、そこで有名なハーツホーン予想を証明しました。その後3次元代数多様体の極小モデルの存在証明をおこない、この業績で1990年のフィールズ賞を受賞することになりました。また国際数学連合の総裁をアジア人として始めて勤めています。