神童とは-ハミルトン-
神童と言われた男
世の中には、様々な分野があり、その分野で天才的な能力を発揮する人が歴史に出てくることがあります。音楽のモーツアルトもそうでしょうし、野球のイチローもそうかもしれません。ごく最近の例で言うと、14歳の中学3年生の棋士の藤井聰太という天才が出現してきました。極めて若い才能が、29連勝と言う凄まじい実績をあげました。将棋と自然科学を同列に比較することは全くできません。世界が、高々有限の将棋盤の中での、組み合わせの問題と、自然科学上の未解決問題や予想をたてることは、難解さはその応用の広さを含めて将棋の対戦に比べるべきもないのかも知れません。しかし夥しい組み合わせの手がある中で、瞬時に最善手を選択する能力は稀有と言っていいとおもいます。また、勝負がきちんと決まることでは、爽快さはあると思います。
数学にも若い頃からその天分を欲しいままにした人が何人もいます。そのなかで、アイルランドのハミルトンこそ神童と言われた人だと思います。
神童と言われた数学者
ハミルトンは、アイルランドのダブリンで弁護士の末っ子として1805年8月に生まれました。母親から才気をもらい、父親から酒好きを受け継ぎました。両親とも彼が幼くして亡くなりましたが、牧師の叔父に育てられました。この叔父が多くの外国語を知っていたために、ハミルトンは幼くして多くの外国語をマスターしてしまうことになります。5才で英語、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語ができ、フランス語、イタリア語、サンスクリット語、アラビア語・・・・・・などたくさんの外国語をマスターしてしまいました。さらに、17才には、自然科学にも精通し、ニュートンやラグランジュの著作を読んでいたといわれています。
18才から、ダブリンのトリニティー・カレッジの大学生でしたが、大学をやめますが、それはこの大学の教授になるためでした。
ところが、神童も20才くらいのとき、人並みに大恋愛と大失恋をし自殺しかけています。20代では、変分原理を利用した光学の研究に石しみますが、またまた、大恋愛と大失恋をしますが、少女へレン・マリアが現れ結婚しますが、彼女は病弱でその介抱に疲れ、だんだん酔いどれになり、アルコール中毒になってしまいます。
この頃、ハミルトンの関心は、幾何光学で得られた変分原理を力学に応用することでした。ラグランジュにはじまる解析力学はハミルトンによって拡張され、ハミルトニアンやハミルトン方程式などが考え出されることになります。
解析力学では、ハミルトンの正準形を見出しています。
\(\frac{ \partial H }{ \partial q_α }=\dot{p_α },\frac{ \partial H }{ \partial p_α }=-\dot{q_α }\)
現代物理学でも重要で、量子力学や統計力学でも欠かせない考え方です。
また、当時のベクトル幾何学は、ガウス平面を考えていましたが、ハミルトンはさらに壮大な夢を考えていました。つまり、ユークリッドの3次元空間ではなくニュートン時空を支配する4次元空間を表す方法を考えていました。妻と散歩中に突然啓示を受け、今では4元数を見出したのです。
2元数は、複素数がその例です。\(u=x+iy\) \((x,yは実数)\) \(i^2=-1\)はよく知られたものです。
4元数とは、\(u=t+ix+jy+kz\) \((t,x,y,zは実数)\)であって、
\(i^2=j^2=k^2=-1\)
\(jk=-kj=i\)
\(ki=-ik=j\)
\(ij=-ji=k\)
で定義されるものです。
もっと一般的には、4元数は、線形代数学にも関連しています。例えば固有値問題では、ケーリー・ハミルトンの定理として知られていますが、4元数の空間にかんして、3次元空間の固有値問題として理解されます。また旧課程の数ⅢCでは、行列が扱われていましたが、2行2列の行列について、ケーリー・ハミルトンの公式がありました。
またハミルトンは、物理学的な考察もしており、4元数の標記と関連して、微分作用素 \(∇\)を提唱しています。ベクトル解析等で頻繁に使われています。
\(∇=i\frac{ \partial}{ \partial x }+j\frac{ \partial}{ \partial y }+k\frac{ \partial}{ \partial z }\)
ハミルトンは、若い頃はその天分を思う存分発揮し、力学や光学などに顕著な功績があるが、晩年はアルコールと紙くずにうずもれた酔いどれ老人でした。かつての神童も、晩年は酒と孤独の中に亡くなったといわれています。