カール・フリードリッヒ・ガウス
ガウスの生い立ち(1777-1855)
新たな年にあたり、数学史上もっとも知られている数学者の一人であるドイツの数学者ガウスについて書いてみましょう。ガウスは、アルキメデス、ニュートンと並び有史来最高の数学者と言われています。1777年ドイツのブラウンシュワイクに生まれています。父親は、石切職人などをやった職人でした。2番目の妻がガウスの母親でDrotheaと言いました。彼女は、文字が書けず、ほとんど読めませんでしたが、明るく強い性格を持っていたといわれています。ガウスは終生母親を愛していたと言われています。
ガウスの業績
ガウスは早熟な天才でした。小学校の押さない時代においても、ガウスは天性の数学的才能を示していました。10歳のとき、先生が生徒に次のような問題を出しました。先生はしばらく息をつきたかったようです。この問題なら、かなりの時間がかせげると思ったのです。どころが、数秒後にガウスが、「できました。」と答えたのです。他の生徒は、必死になって計算しているのに、ガウスは余裕の顔をしていたのです。先生は疑問の目でガウスの机にいくと、「5050」と言う正解を見つけたのでした。ガウスにどうやったのかと聞くと、\(101x100/2=5050\)と答えました。すでに、\(\displaystyle \sum_{k=1}^{ n } k=n(n+1)/2\) の\(1からn\)までの和の公式を見つけてしまったのです。先生はびっくりしましたが、しかしこの先生は立派でした。もう自分に教えることはないと悟り、ハンブルグから数学の本を取り寄せ、ガウスに勉強させたのです。
父親は職人になることを望みましたが、中学、高校は、ブラウンシュバイク公の援助を受け勉強に励みます。この学生時代に素数の分布を調べ研究し、なんと、現在では「素数定理」と言われる予想をしています。すなわち、自然数\(n\)よりも小さい素数の個数\(Π(n)\)は、\(n/logn\)に近いことを予想しました。この予想は証明されましたが、素数定理につながるテーマとして、いまだ未解決のリーマン予想があります。また、1795年3月には、2次剰余の相互法則を発見し、帰納法で証明しています。
1995年10月に、名門ゲッティンゲン大学に入学しています。ゲッティンゲン大学に入学した頃は、ガウスは数学者になるか言語学者になるか、迷っていたと言われています。1796年3月に顕著な業績をあげます。学生ではありましたが、正17角形の作図法(定規とコンパスのみ)を発見し、さらに正\(n\)角形が定規とコンパスで作図できるための\(n\)の条件も見つけました。すなわち\(n=フェルマー数=2^{2^n}\)を発見したのです。ここで、ガウスは数学者の道を歩む決心をしています。ここから、数学者ガウスの歴史が始まりました。
1799年には、代数学の基本定理で学位を得ています。「複素数を係数とする代数方程式は、少なくとも1つの複素数解をもつ。」と言われるものです。すぐに、重解を区別すると、n次代数方程式は、\(n\)個の解をもつことになります。
ガウスの最大の業績は、整数論に関するもので、1801年に「整数論研究」を出版しています。このなかで、整数の問題に本質的な働きをする、合同式をを提唱しています。すなわち\(a≡b (mod n)\) これは、\(a-b\)が\(n\)で割り切れることを簡潔に示すものです。整数の問題では大活躍します。
さらに、天体力学の研究も始めています。1807年にゲッティンゲン大学の教授となっています。
また、データの分布や誤差等の研究から、正規分布や最小二乗法の研究もやっています。曲面論や測地学の研究もし、有名なガウスの曲率をみつけ、微分幾何学の端緒となった。さらに、ガウスの研究は続き、複素関数論(複素変数関数論)にも手をつけ代数関数論につながることになります。
さらに、ガウスは物理の面でも活躍をしています。特に磁気学において磁気の理論を研究しその基礎を築いています。ガウスの定理なども有名です。
ガウスは長命で、自分の才能を最大限に発揮した数学者です。数学のあらゆる分野を手がけ、各々の分野で最高の業績を上げています。彼ほどの数学者は彼の前にも彼の後にも現れておりません。