ディオファントス-数論のはじまり-

ディオファントスとは

余りなじみのない数学者かもしれませんが、AD246年~4世紀のアレクサンドリアの数学者と言われています。ディオファントスは、「数論」という本を書いています。ギリシャの詩歌集によると、次のことが書かれています。

「ディオファントスは、一生の六分の一を少年時代として過ごし、その後十二分の一を経てあごひげが生えはじめ、それから七分の一たつと結婚し、その五年後に息子が生まれ、その息子は父の二分の一を生き、父は息子の死後四年たって死んだ、という」(ディオファントスは、西暦何年に亡くなったのでしょうか。)

\(3x-5y=2\)の整数解を求める問題は、整数係数不定方程式を求めるものですが、このようなものはディオファントス方程式とも言われています。ディオファントスは2次の不定方程式も論じており、フェルマーからガウスにいたる数論の始まりになったとも言えます。

大学入試では、整数係数の一次不定方程式の解を求める問題が、センター試験の問題としてよく出題されています。2次式、3次式のものもよくみかけますので、十分演習しておく必要があります。

ディオファントス以降の数論の発展

ディオファントスの研究は、17世紀のフェルマー、18世紀のガウスなどの数論の天才たちに受け継がれることになります。フェルマーはディオファントスの数論を詳しく研究したことでも知られています。フェルマーはラテン語訳の本を読んでいます。この本に、自分の考えを書き込みました。書き込みは多数に及びますが、よく知られたものは、次の書き込みです。

1)\(p\)が素数で、\(a,p\)が互いに素であれば、\(a^{p-1}-1はp\)で割り切れる。すなわち、\(a^{p-1}≡1 (mod p)\)
2) \(4n+1\)となる形の素数は、2つの平方数の和で1回だけ表される。
3) 立方数を2つの立方数の和に、4乗数を2つの4乗数の和に、一般に2より大きいベキの数を2つの同じベキの数の和に分けることはできない。つまり\(x^n+y^n=z^n(n=3,4,5,・・・・・・・・・)\)は自然数解を持たない。

1)はフェルマーの小定理として有名ですが、高校数学の範囲で証明は割合容易です。この定理を使うような問題も結構あります。
3)は、有名なフェルマーの大定理(最終定理)です。フェルマーは、ディオファントスの書き込みに、こう書きました。「私は、この定理の驚くべき証明を得たが、その証明をここに書くには余白が少なすぎるので、省略する。」フェルマーは\(n=4\)は証明できたと言われていますが、\(n=3\)は、オイラー、\(n=5\)はルジャンドル、ソフィー・ジェルマンらが証明しました。一般的な大定理を証明したのは、ケンブリッジ出身の数学者でした。1995年に、360年ぶりにアンドリュー・ワイルズによって、やっと証明されています。ワイルズはこの証明によって、フィールズ賞を受賞しています。
また、2)はオイラーが苦心して証明しています。

ドイツのガウスは、万能の天才と言われています。また、アルキメデス、ニュートン、ガウスは、史上3大天才数学者とも言われています。ガウスは、整数の問題にも深い研究をしています。特に素数研究をよくやっており、いわゆる素数定理といわれているものを、予想したことでも有名です。ガウスは、整数論でよく使われる合同式の創始者としても有名です。ガウスは、当時の数学上の難問であったフェルマーの予想を解いてみることをすすめられていますが、挑戦することはなかったようです。少し検討はしたのでしょうが、その本質的な超難度を感じ取っていたのかも知れません。

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