アインシュタインⅠ-時代を先駆けた物理学の天才-
アインシュタインの生い立ち
アインシュタインと言うと、相対性理論、ノーベル賞とすぐ思いつくほど有名な天才物理学者です。しかしながら、ノーベル賞の対象には相対性理論は入っていません。
アインシュタインは、南ドイツのウルムで生まれましたが、すぐミュンヘンに移転
したようです。ミュンヘンのギムナジウムで勉強しましたが、退屈なものだったようです。両親がミラノに移ったことから、アインシュタインもミラノに移動したようです。
当時アインシュタインは、数学と物理学に興味を持っていて、スイスのチューリッヒにあるスイス国立工芸学校を受験しましたが、数学では抜群の成績でしたが、
他の科目でいい点がとれなく、あえなく不合格になってしまいました。
あのアインシュタインでも、不合格になっています。スイスのギムナジウムで再度勉強し、スイス国立工芸学校に入学を許されました。
このあたりは、現在の日本での入試改革で言われている一芸入試やAO入試などと似ていると思います。
チューリッヒ工芸学校時代
ギムナジウムで1年を過ごしたあと、アインシュタインはスイスのチューリッヒ工芸学校に入学し、ヘルムホルツ、キルヒホッフ、ボルツマン、マックスウェル、ヘルツなどの有名な物理学者の著書をよみ、物理学に傾倒していきました。
この当時、教授に若いミンコフスキーが名声を得ていました。このミンコフスキーが後日アインシュタインの特殊相対性理論の数式化を成し遂げました。
ベルン特許庁時代
チューリッヒ工芸学校をでて、アインシュタインは、ベルン特許庁に就職することになります。
そして、この特許庁時代に、アインシュタインは、充実した研究生活を送り、1905年に次の3つの理論を発表しました。
(1)特殊相対性理論
(2)ブラウン運動の理論
(3)光量子の理論
アインシュタインは、1922年にノーベル物理学賞を受賞していますが、その受賞理由の中には、相対性理論はなく、光電効果の発見 によっています。
\( to be continued\)