遥かなるゲッティンゲン-20世紀初頭の学問の殿堂-

ゲッティンゲン

皆さんは、ドィツのゲッティンゲンをご存知でしょうか。私にとっては、ゲッティンゲンは、高校生の頃からの憧れの地でした。19世紀後半から、20世紀においては、ゲッティンゲン大学は世界の自然科学を初めとする学問の殿堂でした。ノーベル賞受賞者を50人近く輩出していますし、数学や物理学の天才たちがキラボシのごとく居ました。ガウス、クライン、ヒルベルト、リーマン、ミンコフスキー、アインシュタイン、ヘルマン・ワイル、ハイゼンベルグ、マックス・プランク、ショーペンハウアー、ハイネ、グリム兄弟、日本では、本田光太郎、高木貞二などが、この大学で研究をしています。

私にとってのゲッティンゲン

高校生の頃から益々数学が好きになり、いつかはゲッティンゲンに行ってみたいと思ったものでした。これほどの天才を輩出したところはどんなところなのか見てみたいと言う思いをずっと持ち続けていました。しばらくは、その機会はなかったのですが、社会に出てついにゲッティンゲンの地に行けるチャンスを得たのです。

ドイツへ-研究開発-

社会に出て、最初の海外出張をする機会を得たのです。当初は、短期の予定でしたが、私にとって幸運がめぐってきます。出張期間が延びたのです。ある事情で2ヶ月以上居たのですが、ドイツでは日曜日に働くことは法律的に許されておあらず、自動的に観光の日となりました。ただヨーロッパは日曜日は安息日で人出も少なく、オープンしている店も少なかったのですが、レンタカーを借りてあちこち行きました。Hanau、Frankfurt、Koblentz、Munchen、Kassel,Heiderberg、Wurtzburg、Dusseldorf,・・・・・相当数の都市に行きました。アウトバーンは分かりやすく運転しやすかったのを覚えています。そして、Gottingenにもいきました。

ゲッティンゲン-研究学園都市-

行ったのが休日であったこともあるのしょうが、とても落ち着いた静謐な学園都市だったのを今も記憶しています。ふと車の窓の外に、おそらく日本人だろうと思われる人もみました。研究にきているのだろうか、と思ったものでした。ゲッティンゲン大学は、今は世界ランクで60位くらいですが、第二次世界大戦時に、多くの優秀な研究者がアメリカに逃れています。アインシュタインはプリンストンでしたし、いまでは優秀な大学はアメリカに集中していますが、その元を築いたのは、ドイツをはじめとする天才たちでした。その後もHanoverなど何度かドイツ語圏に行きましたが、もう一度ゆっくりゲッティンゲンを訪れてみたいと今でも思っています。

 

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です