天才とは-インドの天才数学者ラマヌジャン-


数学の天才-インドの天才数学者-

天才は、色んな分野に居ます。スポーツの世界にも音楽の世界にもそして自然科学の世界にも居ます。いろんな分野にいる天才の中で、数学の分野でインドの天才ラマヌジャンが、飛び切りの天才ではないでしょうか。

数学の天才は、他にも何人も居ます。3大天才と言われてきたのは、ギリシャのアルキメデス、イギリスのニュートン、そしてドイツのガウスと称されてきました。もちろん、アーベルもガロワもヒルベルトもリーマンもオイラーも天才であるには間違いありません。

しかし、インドのラマヌジャンだけは、ある意味で飛び抜けた天才と言っても過言ではないかと思います。

インドのラマヌジャンとは何者か

ラマヌジャンをご存知の方は、それ程多くはないとは思いますが、数学史では、数しれない定理や予想を生み出した、と言う意味では突出しているのではないかと思います。

ラマヌジャンは、南インドに生まれた数学者です。インドの片田舎でコツコツ数学を独学で学んでいました。かれは、ヒンデュー教徒であり、カースト制のバラモンでした。南インドには、ラマン分光でノーベル物理学賞を受賞したラマンやチャンドラセカール(ノーベル物理学賞受賞)も生まれています。この地が何らかの宗教的、科学的土壌を持っていたのかも知れません。

ケンブリッジのG.H,Hardyとの共同研究

ラマヌジャンは、インドでカーの書いた純粋数学提要という定理だけが書いてあるような教科書で数学を学びましたが、また自分の考えたアイデアや結果をノートに書き記していました。インドの大学の教授はこれらの数学的意味の重要性がよく分からず、インドの宗主国であるイギリスの先生に内容を聞いて見るように薦めます。

ラマヌジャンは、何人かに自分の求めた結果をイギリスの大学の教授に送ります。この時に、ラマヌジャンの手紙を見たケンブリッジのハーディーも最初は、これは何だろうか、と思ったようですが、よく知られた結果もありましたが、どう考えても良くわからないものもあったようです。そこで、ハーディーはラマヌジャンをケンブリッジに招請し、二人のタッグの研究が始まったのです。

ラマヌジャンとハーディーの研究

ラマヌジャンは、毎日数個の定理をラマヌジャンの元に持ってきました。ハーディーも優れた数学者です。ラマヌジャンの持ってきた定理や予想をきちんとした証明にすることが、ハーデイの日課となりました。

ラマヌジャンは天才ではありましたが、数学の勉強は体系的なものではありませんでした。今では大学の教養課程の生徒も知っている、複素積分に関するCaucyの定理も知らなかったようです。

しかしながら、優れた天才的な数学者でさえ思いつかないような公式や定理や予想をいくつも生み出していったのです。数学者さえ、どうしてラマヌジャンがああ言う予想や定理を思いつくのか、イライラするようなものだったと言います。ハーディーは、数学者を点数付けをしていますが、ハーディーは、20点、同僚のリトルウッドは、40点、そしてあの天才ヒルベルトが80点、ラマヌジャンは100点だとしています。それほど驚異的な数学者だったようです。

ラマヌジャンのエピソード

ラマヌジャンは、宗教上の理由から食べられない食べ物が多々ありました。またイギリスの水が合わなかったのかもしれません。病気になってしまい、入院します。先生のハーディーは、病院にお見舞いに行ったのですが、ラマヌジャンにあったときに、「今日乗ってきたタクシーの数字は4桁のつまらない数字だった。」と言った瞬間にラマヌジャンは、「先生、今言われた数字はとても面白い数字ですよ。3乗の和に2通りにあらわされる最小の自然数ですよ。」

ラマヌジャンのエピソードに関する問題

【問題】

a、bを2以上の自然数とするときに、次の等式を成り立たせるa,bを求めてください。\(a^3 + 1^3=b^3 + 10^3\)

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