ベルヌーイ:スイスの数学者

スイスの数学者・物理学者

ベルヌーイと言う名前は、数学や物理学などでも広く知られていますが、実はスイスの数学者一家と言ったほうがいいかもしれません。ベルヌーイ一家として、17世紀から18世紀にかけて、3代8人の数学者を輩出した名門だったのです。数学史で有名なのは、3名でヤコブとヨハンとヨハンの息子のダニエルです。
また、ベルヌーイの周辺からは、有名な数学者のオイラーも出ています。スイス人が、数学にむいた頭を持っていたのかどうかは定かではありませんが、当時のヨーロッパで数学者の国籍を問題にするには、余り意味があることではないようです。スイスは宗教改革の拠点の1つでしたし、ベルヌーイの先祖がユグノー戦争を避けてきたプロテスタントだったと言います。

数学者としてのベルヌーイ

ことは、ライプニッツが、「新しい数学」を著した1684年ごろのことです。これに注目したのが、最初のベルヌーイである、ヤコブ・ベルヌーイでした。当時ヤコブは、バーゼル大学の新任教授でした。彼は、弟のヨハンとともに、この研究に取り掛かっています。ライプニッツ、ヤコブ、ヨハンの3人によって、ヨーロッパ解析学が動き始めました。

懸垂線(カテナリー)は、 \(y=coshx=(e^x+e^{-x})/2\)で表されますが、ライプニッツとヤコブがともに考えたものです。

弟のヨハンは、パリに行きますが、ここでロピタル侯爵に会っています。またここでロピタルに世界で最初の「微分法講義」をおこなっています。「微分法講義」はこれよりかなり後になっています。この中に極限で有名なロピタルの定理が現れています。ロピタルの定理として広く知られていますが、ロピタルとヨハン・ベルヌーイは、命名権をロピタルに譲るという契約を結んでいたと言われていますが、実際にはヨハンの考えたものだとされています。
\(\displaystyle \lim_{ x \to a} f(x)/g(x) =\displaystyle \lim_{ x \to a} f'(x)/g'(x)\)

このあたりまでは、ヤコブとヨハンもそれなりに数学に励んでいたようですが、徐々に兄弟の紛糾が始まってきます。ヤコブはスイスのバーゼル大学の教授におさまっていましたが、ヨハンはしかたなくオランダのフロニンヘンに行くことになりました。

ベルヌーイの微分方程式として有名なものがありますが、
\(dy+f(x)ydx=g(x)y^ndx\)
これは、積分因子を考えたのは、ヨハンといわれていますが、ライプニッツやヤコブも知っていたと言われています。

この頃のもう1つの重要な問題は、最速降下線をヨハンが提示したことでしょう。これは、2点間を重力のみでもっとも速く降りる曲線は、何か、と言う問題です。ヨーロッパの有名な数学者に提示しましたが、その1人にニュートンがいました。ニュートンは名前を隠して解答を示しましたが、ヨハンは、すぐに見破り
「爪を見れば、ライオンはわかる。」と言ったそうです。答えは、サイクロイドです。

またこの後、変分法の起源ともなっています。
ヤコブは、51歳で亡くなっていますが、確率論における大数の法則やベルヌーイ試行などの研究もおこなっています。

ヤコブの死後、ヨハンがバーゼル大学の教授になっています。
ことろが、息子のダニエルは、ペテルブルグで研究し、バーゼルに戻ってきますが、弟分のオイラーをバーゼルに呼び寄せ流体力学の研究をしていました。
ヨハンは、ダニエルの「流体力学」の全ての定理を持っていかれました。以来、流体力学は、どちらのベルヌーイか触れない事になっています。
もっとも、ダニエルは、父のヨハンの死後、弦の振動の3角級数解により歴史に不朽の名声を得ています。

 

 

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