コーシー(Cauchy)

コーシー(Augustin Louis Cauchy)の生い立ち

コーシーの名前は、数学の至るところで出会います。高校数学では微積分で、平均値の定理を学びます。通常はラグランジュの平均値の定理と言いますが、バリエーションとして、コーシーの平均値の定理もあります。大学の解析学では、さらにコーシーの名前が沢山でてきます。
コーシーは、1789年8月21日にパリで生まれました。この年の7月14日には、バスティーユ襲撃事件が起こりフランス革命が起こっています。コーシーはこのような時代を過ごしました。コーシーはやがて元老院の書記に選ばれた父親に教育を受け、ラグランジュに会っているうちにコーシーの優れた才能に気がついたとされています。

数学者への道

コーシーは、パリ工芸学校を卒業し、土木技師として働いていましたが、この間に、対応する面が互いに合同な2つの凸多面体は、合同かまたは対称であることを証明し、この研究がパリの数学者の目に止まり、有名なLegendreに数学者になることをすすめられました。コーシーは、職を辞しパリに戻り、数学に専念することになります。1815年には、波の拡散の論文をあらわし、学士院賞をとり、1916年にはパリアカデミー会員になっています。7月革命により、一時トリノ大学に移りましたが、プラハから、1952年には、パリ大学教授になっています。

コーシーは多作であり、800編余りの論文を書いていますが、自分の論文はどんどん出しましたが、他人の論文には無頓着でした。アーベルとガロワの論文を忘れてしまったのは有名です。

高校数学では、先にあげたコーシーの平均値の定理が有名です。また、大学教養の数学では、極限の厳密な定義である ε-δ論法が有名です。また、複素関数論では、多くの業績を上げています。

こんにち、いわゆるCaucy-Riemann の方程式として知られているものです。
\(z=x+iy\) に対して、\(f(z)=f(x+iy)=u(x,y)+v(x,y)\)となる関数\(f(z)\)を考えます。\(f(z)\)が複素微分可能である条件は、
\(\frac{ \partial u }{ \partial x }=\frac{ \partial v }{ \partial y },\frac{ \partial u }{ \partial y}=-\frac{ \partial v}{ \partial x }\)
であることを示しました。これは割合楽に証明できます。

また、複素関数論において、周回積分における留数定理は、重要です。

ある周回積分路にかんする線積分に関するもので、

\(f(z)=1/2πi・\oint_C f(ξ)/(ξ-z) dξ\)

となります。

 

 

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